9月15日 失われた30年の責任と日本再生

下記、私の意見は一見短略的かつ単純に思われるかもしれないが、こと経済に関しては「単純な原理原則」にしっかり立脚して政策を考える必要があるように思う。原理原則に軸足をおかず迷走し続けている「失われた30年」を作り出した者の責任は重い。

経済理論は、原則に立ち返れば「需要と供給のバランス」に帰する。今は経済規模が拡大しない中で外的要因により特定の物価だけが上がるという「悪しきインフレ」に陥っているが、基本的には日本のデフレ基調は続いている。それは消費者の賃金が上がらず、お金を使えない故に需要が伸びないからである。需要が少ない故にデフレ基調なのだから、必要な政府対応は需要を直撃する「消費者への再配分」や「消費減税」であり、それこそが最も有効な財政政策である。

トリクルダウンを狙って供給側の企業に資本を投下しても、需要がなければ企業は生産を拡大させず内部留保にまわす。今の「賃金を上げろ」という議論も消費者の需要を喚起したいからなのであって、「消費者への再配分」や「消費減税」と狙う効果は同じなのである。「需要サイドの重点化」こそ日本経済復活への第一歩である。

振り返ると、自民党一党支配は財界や官僚と癒着して供給サイドへの利権的な財政投下に汲々としてきた。唯一、安倍政権はアベノミクスに取り組んだが、①「金融緩和」は徹底したものの、需給バランスを転換できるほどの②「財政出動」には至らず、財政の投下対象も供給サイドに偏ったものであった。③第三の矢も不徹底に終わり、大規模な有効需要の創出、規制緩和による成長産業と雇用の創出には至らなかった。

そこで安倍政権が次に打ち出した「一億総活躍社会の実現」における「働き方改革」では労働関連法の改正等が順次行われた。コロナ禍テレワークの普及等で一定成果も出たが、未だ正規非正規の格差は埋まらず、長時間労働も低賃金も解決していない。

この社会の閉塞感を打破するには、日本固有の正規非正規区分を廃止し、その上で雇用の柔軟性と流動性そして安定性を確保するような大胆で抜本的な構造改革を進めるべきである。一度躓いた者でも再チャレンジができる柔軟な社会の実現が求められる。

急激な人口減少が経済にもたらす影響は甚大であり、「少子化対策」も重要な成長戦略の一つである。政府与党は幼児教育・保育の無償化等を進めたが、出生率1.8の実現には程遠い。現政権の異次元の少子化対策も肝心の結婚支援と高等教育支援が薄く、効果は限定的である。

岸田政権では一億総活躍の4つの推進室が廃止され、明確な総括もしていない。現政権が捨て去ったように思えるアベノミクス(金融緩和・財政出動・構造改革)の完成と一億総活躍社会の実現は未だに日本再生に有効な基本戦略のはずである。

「財源」については、財政法4条を改正して財政出動の自由度を上げ、インフレ傾向が「基準」を超えない間は赤字国債で賄う。この「基準」がPB(プライマリー・バランス)に変わる新しい財政規律となる。経済の健全な拡大が実現すると税収も上がり、インフレによって債務も目減りしていくため財政破綻は生じない。いくら債務が多くても上記「基準」を超えず、また経済が健全に拡大している間は、他国や金融機関の日本財政への評価は下がらない。また、戦後のハイパーインフレは生産施設が破壊され供給ゼロの状態にもかかわらず、国民の需要が高まるため起こるものであり、現在には当てはまらない。

念のため、財政の自由度を奪い日本を弱体化させる「財政法4条」の改正は戦後レジーム脱却のために必要不可欠である。強力な自国通貨を持つ日本は本来財政の自由度が高い数少ない国家の一つである。にもかかわらずPB黒字化の縛りがあるため30年に及ぶデフレ基調から脱出できない愚かしさに気付くべきである。これもまた「経済的に自立する国家」実現への道程である。

藤井聡先生と

積極財政の両雄、京大大学院教授の藤井聡先生、元国交省の大石久和先生と。