6月 LGBT理解増進法が成立

【保守と改革】

国民は政治に現状維持や停滞を望まない。

左派革新は理性と合理性の信奉者であり、人智を信じ切るため過剰な自信とともに左派的改革を提唱するが、実際にその改革が正しいかどうかの保障はない。歴史的にも旧ソ連の崩壊がそのことを暗示している。

保守は人智には瑕疵がつきものであることを歴史や生活上の経験則から理解しており、そのため謙虚に伝統に従うのである(エドモンド・バーク)。反面、人間は常に間違う存在であるため、慎重でバランスの取れた漸進的な改革はむしろ必要である。現状維持なら政治は要らないのである。

私は宝塚市議時代、渋谷区に続いて日本で二番目のパートナーシップ制度を導入しようとした中川智子市長に対して、慎重かつ丁寧な議論を促す一般質問をして批判を浴び、大炎上した経験がある。その後勉強を進め、LGBTへの理解を深めた結果、多くの誤解をしていたことに気づき、反省をした。

その年、アメリカでは同性婚を禁止する州法への違憲判決が出され、厳格な保守国家であるアイルランドでも国民投票で同性婚が認められ、日本でも野党から国民投票をという話が出始めていた。

このまま与党自民党がLGBTに無関心を決め込み、野党の専売特許にしていると、「理解が広がらないまま」一足飛びの差別禁止法や同性婚容認に繋がると危惧したため、当時自民党の政調会長であった稲田朋美議員に内容の緩やかな「LGBT理解増進法」の制定を打診した。同性婚等については理解が深まった後の将来的な議論とする趣旨であった。

その場で特命委員会の発足が約束され、私も初期オブザーバーメンバーとなった。その後の紆余曲折や混乱はご周知のとおりである。公衆浴場の問題など、理解増進法への誤解が解消され切ってはいないが、「当初案」と趣旨を同じくした理解増進法案が成立したことは誠に喜ばしく感謝に堪えない。今まで無関心だった問題に国民の多くが関心を持ち、誤解も含めて議論が巻き起こったことで、結果としてLGBTへの理解が一定増進されたことは大変好ましいことである。

今後の課題として、離婚や死別に伴ういわゆる「おひとりさま」(単身世帯の人口は40%近い)の問題がある。異性間にも適用されるパートナー制度を導入して、暮らしを共にし、生活を支え合うパートナーとの結びつきを促し強化することは、個人の人生を豊かにするだけでなく、日本の社会保障費を減らす効果もあり推進すべきである。

保守にとっては容認が難しい課題に関しても、慎重でバランスの取れた議論を経ながら、漸進的に解決をはかり、歴史の扉を開いていくことは、我が国が物心ともに豊かになるために必要不可欠である。

「現状維持なら政治は要らない」が私の信条である。男系皇統の維持のように国体の根幹にかかわるものは死守し(エドモンド・バークの本源的契約)、その他は時代の流れに従って、丁寧に議論を深めながら改革を進めていく、このような真の保守政治を成し遂げたい。

 

念のため、現在保守層から出ている批判について、以下に記しました。

【公衆浴場】

令和5年4月28日内閣委員会での國重委員の質疑(趣旨抜粋)

國重委員) この法案により、性的マイノリティの権利だけが優先されて、他の人たちの権利が脅かされるのではないか? 具体的には自分は女だと主張するだけで、体が男性であっても女性スペースに入れるようになり、女性の権利が著しく侵害されるのではないか?

佐々木政府参考人) 公衆浴場については、厚労省が「公衆浴場における衛生等管理要領」を定めており、「おおむね7歳以上の男女を混浴させてはいけない」となっています。この要領で言う男女は、トランスジェンダーの方含め、身体的な特徴の性をもって判断するものと考えております。この取り扱いは、「風紀の観点からの合理的な区別」であり、憲法14条に照らしても差別に当たらないと考えています。

※LGBT理解増進法によって上記の取り扱い(身体的特徴による判断)が差別になってしまうとの批判がありますが、上記答弁のとおり、上位規範である憲法14条に照らしても差別ではなく合理的な区別と考えられますし、又、そもそも理解増進法は「理念法」に過ぎず、具体的な権利や義務を与えるものではありません。

※つまり、トランスジェンダーであろうが、窃視目的の女装男性であろうが、浴場への入場は身体的な特徴により判断することになり、男性器のついた人が女性浴場に入った場合は建造物侵入罪等の犯罪を構成することになります。