5月後半の活動(抜粋)

【5月17日(水)】 議会運営委員会正副委員長打ち合わせ、その他

【5月18日(木)】 議会運営委員会出席。地域の交通安全会議出席。

【5月19日(金)】 本会議。

【5月20日(土)】 伊丹市のバルに参加。大変な活況で、ほぼ全てのバル参加店に長蛇の列。宝塚市との大きな違いは商店が市中心部に集中しているか分散しているか。

【5月21日(日)】 市民一斉清掃に参加、汗だくに。地元開発業者説明会に出席。

【5月22日(月)】 国際政治経済情勢に関する講演会に出席。

【5月23日(火)】 教育委員会へ赴いて、地域の要望と意見交換。

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【5月24日(水)】 市民から市政相談を数件受けました。適切・迅速に対応します。

【5月25日(木)】 市民から市政相談。夏期の市民プールが混雑し、周辺道路が恒常的に渋滞。解決を、との相談でした。かつては市民プール・体育館の隣に大きな民間パーキングがありましたが、数年前に住宅開発で無くなり、現在、駐車場不足が深刻です。夏期のプール利用者は終日車を停めるので、体育館での大会(試合)が重なる日などは酷い状況になります。現在はクリーンセンターや市役所駐車場の活用で対応していますが、全く間に合っていません。私からは当局に対して、武庫川河川敷や土手の解放に向けて積極的に動いてもらいたいと要望しております。

夜は宝塚市国際観光協会の総会と懇親会へ出席。長年会長を務められた松本孝一氏(武田尾温泉・紅葉館あざれ)に替わり、小早川優氏(宝塚温泉・ホテル若水)が新会長に就かれました。

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監査委員就任のご報告

【5月16日(火)】 本会議日程、議会役員選挙。私は監査委員に立候補し、有難くも満場一致で当選させていただくことができました。

監査委員は地方公共団体の執行機関のひとつで、地方公共団体の財務や事業について監査を行う独任制の機関です。申し合わせで任期は2年間。しっかりと務めて参ります。

【三役の選挙結果】
議長:北野聡子議員
副議長:三宅浩二議員
監査委員:大河内茂太

【所信表明の内容】
地方自治法第2条14項には「地方公共団体は,その事務を処理するに当っては、住民の福祉の増進に努めるとともに、最小の経費で最大の効果を挙げるようにしなければならない」とあり、地方財政法第4条1項には「地方公共団体の経費は、その目的を達成するための必要且つ最小の限度をこえて、これを支出してはならない」とあります。

今後ますます逼迫するわが市の財政状況の下、市民の税金が適正に、また効率的に使われているかを、地方自治法、および地方財政法の趣旨に照らして、監査委員の立場から、客観的、また公平に見て参りたいと思い、立候補いたしました。

【その他の役職のご報告】
議会運営委員会の副委員長に就任いたしました。
産業建設常任委員会の委員に就任いたしました。

自衛隊第三師団創立56周年式典、その他

【5月14日(日)】 第3師団創立56周年・千僧駐屯地創設66周年記念行事(伊丹市千僧)に参加いたしました。宝塚市山本野里には自衛隊の宿舎があって、そこから千僧駐屯地に通勤している隊員が多いのです。自衛隊員の皆様の日頃のお役目に感謝いたします。

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午後からは「たからづか能」に参加。木曽義仲の最期を巴(ともえ)御前の亡霊が語る修羅能「巴」を鑑賞いたしました。

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【木曽義仲の最期と巴御前】
巴御前は27歳。「色白く髪長く、容顔まことに優れたり」と記される義仲の側室で、「春風」という名の荒馬を乗りこなし、華麗な鎧を着て、大弓と大太刀を操る女武者だった。
寿永三年(1184年)、木曽義仲は源頼朝の命を受けた源義経と戦って琵琶湖のほとり・粟津で敗死。
木曽義仲勢は300騎ほど。6000騎の一条次郎勢の中に突進して後ろに出たところ、義仲の軍勢は50騎ほどになっていた。
さらに突破していくと、土肥の次郎実平の軍勢2000騎が守っている。そこも突破してくうちに、しまいには主従5騎になってしまったが、まだ巴は討たれていなかった。
義仲は巴に言う。「巴、早く逃げよ」「いやです。最後までお供いたします」
巴は頑としてきかない。何度も説得を試み、ついには「最期の戦に女を連れていたと世の笑い者にしたいのか!」と 武士の名誉を語られて、彼女は言葉が出ない。
「では、木曽殿にお見せする最後の戦・・・はなむけに名のある武将をひとり討ち取りましょう。」
そこに、武蔵の国で力持ちで有名な恩田八郎師重が30騎余りの兵を率いて現れた。
巴はその中に突入して、恩田八郎を馬から引きずり下ろし、首をねじ切って投げ捨て、そのまま東国へ落ち延びていった。
やがて、手塚太郎が討ち死にし、叔父の手塚別当は敗走し、いつしか義仲と股肱の臣である今井四郎(兼平)の二人になった。
兼平は「自分が敵を防ぐので、向こうに見える粟津の松原に入って自害したまえ」と義仲に言う。
「この義仲は、都で死ぬ機会があったがここまで逃げてきたのは、お前と一緒に死のうと思ったからだ。別々の場所で討たれるよりは、同じ場所で討ち死にしよう。」
と言って、同じ方向に駆けようとしたため、兼平は馬から飛び降り、義仲の馬をつかんで言った。
「武士というものは、日ごろどんなに高名があっても、死に方を間違えると永遠に不名誉がつきまといます。名もなき人に討たれて『日のもとに名高い木曽義仲を俺が打ち取ったぞ!』などと言われたら、無念でなりません。松原の中にお入りください。」
と言ったので、義仲は「さらば」と言って松原へ駆けていった。
ところが、松原に向かう馬上で兼平のことが気になり振り向いた瞬間、額に三浦の石田次郎為久が放った矢が命中し、義仲の首級があげられた。
義仲が討たれたことを知った兼平は、「こうなっては、誰をかばって戦う必要があるだろうか。東国の武士たち、見よ!日本一のつわものが自害する手本だ!」
と言って、刀の先を口にふくんで、馬から逆さまに飛び落ち、刀で首を貫いて滅した。
これが粟津の戦いにおける木曽義仲の最期であった。

東京レインボープライドに参加

【5月7日(日)】 昨年に引き続き、東京レインボープライドに参加。今年は「自民党政務調査会、性的指向・性自認に関する特命委員会」の宮川典子衆議院議員(事務局長)と繁内幸治先生(アドバイザー)と共にご一緒させていただきました。今回の東京レインボープライドは当事者以外のアライが非常に増えており、協賛企業も多数参加していたことが印象的でした。多くの参加者と意見交換することができ、大変有意義な一日でした。

TRP細野豪志 記事

朝日新聞デジタルの記事(上記写真)をご紹介いたします。私も他政党の議員各位と並んで写真に写っていますが、決して主張が同じ訳ではありません。実は自民党は野党4党が主張する「差別解消法」には否定的で、LGBTに関する理解を広めるための「理解増進法」を整備しようと動いています。今まで野党4党は自民党の「理解増進法」を批判してきたのですが、この記事中、細野豪志衆議院議員(民進党)は自民党に譲歩する可能性を示唆したのです。これは我々の立場からも前進と言えると思います。

itaru FB記事

上の集合写真は記者さんの投稿からいただきました。5名のLGBT支援国会議員、3名のLGBT当事者地方議員、2名のLGBT炎上地方議員という濃い内容の写真になりました(笑)。

最後に、メディアにもよく登場する音喜多駿・東京都議会議員(都民ファースト)がブログで私の事を書いてくれていたのでご紹介いたします。引き続き私自身も理解を深め、現在の社会状況の中で、現時点での最適解は何かを探って参ります。http://otokitashun.com/blog/daily/15048/