文部科学省道徳副読本について

今年度春から利用が義務付けられている「文部科学省副読本」の利用状況について教育委員会に質問しました。
年3回利用する計画を立てているとの答弁を受け、下記の二次質問をいたしました。※実際の二次質問では一部割愛しました。

国指定の道徳副読本『私たちの道徳』は、文部科学省から「各児童生徒への個別配布と家庭への持ち帰り、及び長期休暇での持ち帰りと家族との読書」を指導(通知)されています。

にもかかわらず、本市では教師(学校)が一括して預かっており、各児童に配布して持ち帰らせていない状況です。

実は東京都でも、ほとんどの学校が副読本を児童に配っておらず、下村文部科学大臣が副読本を各児童に配布して家に持ち帰るように呼びかけていると報道されました。

多額の税金を使って、日本全国の児童生徒に行き渡るように学校に配られているのに、なぜ個別に配布して持ち帰らせないのでしょうか。

手に取ってみると、この副読本はなかなか素晴らしい。
一番素晴らしいのは最近教えられることが少なくなった「偉人」を紹介しています。「少年よ大志を抱け」のクラークとか(最近見かけなくなりましたね)、「なせば成る、なさねば成らぬ、何事も」の上杉鷹山とか。また志を立てることの大切さとか、日本人としての礼儀とか、四季折々の伝統行事とか、愛国心の大切さとか、あるいは武士道的な視点までしっかりと記載されている。

しかし、学校の対応を見ていると、なるべく積極的には利用させたくないように見えます。

東日本大震災では、被災地の人々の振る舞いを通して、日本人の精神性が外国人に感銘を与えました。しかし、これは戦後の道徳教育の成果ではなく、日本人が古来から受け継いできた道徳心です。

たとえば、3世紀の魏志倭人伝には「風俗は乱れていない。盗みが少なく、争いごとも少ない。水辺で沐浴し、身を清めている。」と書かれていますし、16世紀のフランシスコ・ザビエル神父は「日本人はたいてい貧乏である。しかし、武士たると平民たるとを問わず、貧乏を恥辱と思っている者は一人もいない」と言っています。

19世紀の女性旅行家イザベラ・バードは「つい昨日も、靴ひもが一本なくなり、もう日は暮れていたにもかかわらず、馬子は一里引き返して靴ひもを探してくれた上、私が渡したかった何銭かを、『旅の終わりには何もかも無事な状態で引き渡すのが自分の責任だから』と、受け取ろうとはしませんでした」と記しています。

このように、日本人の道徳心というのは、遠い昔からずーっと引き継がれてきて、今に至っているのですね。学校教育で「新しく作る」ものではなくて、「引き継いでいく」べきものだと思うのです。

そうした視点・観点が、この国の道徳副読本には入っているし、国や郷土を愛する心を育てる配慮がなされています。 

だから!なるべく利用せたくないのかな?と思わざるを得ないのです。

実際に、左派陣営の皆さんは、この国の道徳副読本は「国を愛する心」という項目が入っているからダメだと唱えているのです。

私には全く理解できません。

一般質問では、「文部科学省の通知に従い、他の教科書や副読本と同じように、家庭に持ち帰らせて、家族と読書する機会を作ってほしい」と強く要望いたしました。