活動報告

2012年02月25日(土) 雨の京都

今日も夕方から京都にて「観光」関係の勉強会がありました。

開講まで時間があったので、午後の数時間を「観光」研究の実践に充てました。昨日の講演の中で、観光はテーマを決めて行うほうがよいと言われたので、友人の提案で秦氏(ハタ氏)をテーマにすることになりました。

まず、嵐電に乗って太秦(ウズマサ)にある京都最古の寺院「広隆寺」(別名太秦寺)へ行き、国宝第一号である「弥勒菩薩半跏思惟像」を鑑賞(写真)。
教科書でしか見たことのなかった弥勒菩薩を拝顔して感無量でした。


広隆寺は聖徳太子の命を受けた渡来系の秦氏の創建です。秦氏はこの地に一族1万人あまりを引き連れて渡来したと言われていますが、日本になかった技術(土木・機織など)を持っていたため重用され、瞬く間に勢力を拡大したのです。

そうして秦氏は、政治や宗教にも深く関わるようになりました。京都最古の寺院(広隆寺)を建立しただけでなく、神社の中の神社と言われる「下鴨神社」「上賀茂神社」「松尾大社」(3社併せて秦氏三所明神という)の創建に深く関わりました。
ご存知の方には言うまでもないことですが、八幡神社の総本山である宇佐八幡宮も秦氏の創建、稲荷神社の総本山である伏見稲荷大社も秦氏の創建(秦伊呂具)です。伊勢神宮でさえ秦氏が深くかかわっていると言われます。つまり、秦氏は神道の起源の一翼を担っているのです。

さて、中国では「秦」という文字は西域の民族、特に古代ローマ帝国(大秦国)の出身者を意味していました。そこでシルクロードを通ってはるか西方(中東辺り)からやってきた一族が秦氏のルーツだという説も現在では有力です。

広隆寺(太秦寺)の近くに「蚕ノ社」という古い神社がありますが、これも養蚕技術を日本にもたらした秦氏の神社です。この社の奥には「元糺の森」という神秘的な森があります。先ほどの秦氏創建になる「下鴨神社」の豊かな森は世界遺産の「糺の森」ですが、蚕の社の「元糺の森」はその元になった古い森で、要するに秦氏の根源地でした。

この「元糺の森」に湧いていた泉の中に変わった鳥居があります(宅地開発の影響で10年ほど前に泉は枯渇しました)。京都三大鳥居の一つ「三柱鳥居」(写真)です。
この古い鳥居は、渡来した当時の秦氏の信仰を物語っているわけですが、その由来について蚕ノ社の案内板に以下のように書かれていました(写真)。なお、現在の鳥居は1831年に建て替えられたものです。

「一説には景教(キリスト教の一派ネストル教1300年前に日本に伝わる)の遺物ではないかといわれている」

三柱が三位一体(トリニティ)を表すと言われているからなのですが、ただ、秦氏が日本に渡来したのは古墳時代で、要するに1300年前よりずっと以前でした。そこでネストリウス派よりもさらに古い原始キリスト教の遺物だという説まであります。そうなると神道の起源の一つは原始キリスト教になるのでしょうか?


雨の京都を友人と散策しながら古代へのロマンは尽きませんでした。
宝塚市内では諸々頭を悩ませることが多いのですが、久しぶりにストレスフリーな午後でした。

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