哀悼の誠を捧ぐ

8月16日、宝塚聖天(宝塚市宝梅3丁目)の戦没者慰霊堂「光明殿」にて、御英霊に哀悼の誠を捧げて参りました。

宝塚には川西航空機製作所(今の新明和工業)や訓練用地があったことで、昭和18年8月「海軍航空隊宝塚分遣隊」が設置され、20年3月には「宝塚海軍航空隊」となりました。

宝塚に集められたのは、第13期~16期甲種海軍飛行予科練習生(甲飛)。常時3500~4000人が訓練を受けていたそうです。

宝塚海軍航空隊は戦況悪化により昭和20年6月に解隊。設置期間は短かったのですが、ここで訓練を受けた予科訓練生(甲飛)からは特攻要員が各地に送られました。

特に第13期甲飛卒業生の多くは特攻機に乗ることすら叶わず、人間魚雷「回天」要員に回されたそうです。また、第16期訓練生たちは要塞構築に動員され、昭和20年8月2日、鳴門海峡で米機攻撃を受け82名が戦死しました。(※谷川氏のブログを参照)

「光明殿」に祀られているのは全国陸海空戦没者250万の御英霊ですが、中でもこの予科練(海軍飛行予科練習生)を顕彰・慰霊するために、この地に慰霊堂が建立されたのです。

御英霊の尊い犠牲の上に、私たちが享受する平和と繁栄があることを忘れず、戦争の惨禍を決して繰り返さない決意を新たにいたしました。

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