ヘイト・スピーチ規制を求める請願を審議

【6月3日(水)】

総務常任委員会において、請願第1号「ヘイト・スピーチに対し法規制する決議を求める事についての請願」を審議しました。

請願者代表の口頭陳述では、宝塚市制50周年のイベント会場で神戸朝鮮高級学校の舞踏部の女生徒達が民族舞踊を披露した後、日本の女性から「朝鮮へ帰れ」と暴言を浴びせ続けられ、泣き崩れているところへ警察が止めに入った事件や、東京都新大久保で行われたデモでの「韓国人を絞め殺せ」などの暴言が紹介され、「ガス室に朝鮮人、韓国人を叩き込め」というような生命・身体に対する直接の殺害行為を煽動するような表現が「表現の自由」(憲法21条)として保障されてよいのか、との問題提起がなされました。

紹介議員からはヘイト・スピーチの定義について、「人種、宗教、性的指向、性別、思想、障害、職業、などを誹謗、中傷、差別などし、さらには他人をそのように煽動する言論であるとされるが、紛れのない判定基準は存在しない。日本語では憎悪表現などと訳される。」との定義づけがなされ、さらには「相手が(心が)傷つけばヘイトスピーチになる」との説明がありました。

ヘイトスピーチ規制の対象はSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)での書き込み等に及ぶことはもちろん、国外では規制が言論以外の表現全般に及び、例えば、デモ行進・ビラ配布行為・プラカード掲示行為などの非言語による意思表示形態までもが「スピーチ」に含まれるとされます。

口頭陳述で紹介された事例には大変心が痛みます。このような暴力的表現を許すべきでないことは言を俟ちませんので、請願の趣旨に反対するものではありません。

しかしながら、ヘイト・スピーチの定義は未だ定まっておらず、現時点では規制される表現があまりに広がりすぎる危険があります。

たとえば、「外国人参政権に反対」というプラカードを掲示してデモ行進をした場合、「相手の心が傷つく」と言う理由でデモ参加者が逮捕されたら、これはまさに恐怖政治以外の何物でもないでしょう。これでは表現が萎縮して何も言えなくなり、民主主義が機能しなくなります。

請願者はそこまでの規制は想定していないと言うかもしれませんが、定義が不明確なままでは上記のような事態が生じる可能性があるのです。

あまりに厳しく言論が封じられると民主主義を成り立たせる議論自体ができなくなります。そのため、憲法21条は表現の自由を規定し、憲法上の人権カタログの中でも優越的な地位(できるだけ制限を慎む)を与えているのです。

平成27年1月~4月期に全国の市議会で可決したヘイトスピーチ関連の意見書・決議は56件に及びますが、そのほとんどが「表現の自由に十分配慮」しつつ、法整備を含む強化策の実施を求める意見書でした。

請願提出者は他市の事例も十分に研究して請願項目を決定したはずです。なぜ「表現の自由に十分配慮」の文言を削除したのでしょうか?

審議ではこのような指摘をした上で、最低限「表現の自由に十分配慮」すべき点に言及せず、定義を不明確にしたままでの請願採択は疑問だと申し述べました。

もっとも、請願の趣旨自体に反対するものではないため、委員全員の同意を得て、趣旨採択となりました。

請願者が最も求めている規制は、「朝鮮に帰れ」などの心無い暴言や、「ガス室に朝鮮人、韓国人を叩き込め」というような「生命・身体に対する直接の殺害行為を煽動するような表現」の規制のはずです。

しかし、これらを規制するのに定義のあやふやな「ヘイトスピーチ」という言葉で広く一括りに規制するのは表現の自由にとって大変危険なことです。要するに、規制するにしても規制対象表現をある程度明確にし、定義を限定した上で規制するべきなのです。