1月前半の活動報告(抜粋)

【1月4日(木)】 8:45~ 仕事始めの式典(市役所ホール)に出席。18:00~ 宝塚市新年互例会(宝塚ホテル)に出席。今年も忙しい一年が始まりました。

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【1月6日(土)】 宝塚市体育協会新年互例会に出席。

【1月7日(日)】 宝塚市消防出初式に出席。宝塚アカデミー音楽団のファンファーレで式典の幕が開きました。午後からTIFA(宝塚市国際交流協会)新春懇話会に出席。

【1月8日(月・祝)】 宝塚市成人の式典に出席。今年は2358人が成人の日を迎えました。おめでとうございます。

【1月9日(火)~12日(金)】 市民からの市政相談や地域活動への参加など、年明け早々バタバタしています。

【1月11日(木)】 本日は4年間にわたり私が主催した「歴代天皇の御事跡を辿る歴史勉強会」の最終回(第46回・大阪倶楽部)でした。講師の吉重丈夫先生(北浜法律事務所顧問、「日本の正史」著者)のご献身とご努力に心より感謝申し上げます。

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〖第119代 光格天皇〗 皇紀2439年(1779年)から皇紀2477年(1817年)に譲位されるまでの38年間。近世史上最大規模の大飢饉である「天明大飢饉」や京を焼き尽くした「天明の大火」、江戸「文化の大火」「フェートン号事件」などが起こり、政治では老中・田沼意次が失脚して松平定信(白河藩主)が実権を握るなど激動の時代。「白河の 清きに魚も 住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき」という狂歌は有名。光格天皇は傍系の閑院宮家から即位。中世以来絶えていた朝儀の再興や朝権の回復に努め、朝廷が近代天皇制へ移行する下地を作った。歌道の達人。「天明の大飢饉」の際には、禁中並公家諸法度に違反してまで幕府に民衆救済を申し入れ、幕府は米1,500俵を京都市民へ放出(御所千度参り)。

〖第121代 孝明天皇〗 幕府大老井伊直弼は朝廷の勅許を待たずに各国と不平等修好通商条約を締結。それに反対する攘夷派との緊張が一気に高まり、安政の大獄、桜田門外の変などが発生。幕府軍と討幕軍に外国軍が加わり幕末の動乱が続く。皇紀2526年(慶応2年)孝明天皇崩御。「公武合体論」に賛成の孝明天皇の崩御で時代は一気に討幕へと突き進んだ。

〖第122代 明治天皇〗
慶応3年10月14日、徳川慶喜が明治天皇に大政奉還。
慶応4年3月14日、五箇条の御誓文渙発。
明治4年7月14日、廃藩置県。
明治4年11月12日、岩倉使節団欧米派遣。
明治5年1月29日、戸籍調査実施。
明治14年10月12日、国会開設の詔渙発。9年後の国会開設が決定。
『 天皇はこれまで豪族、公卿、武家にと政治を委託してこられたが、明治以降は国民が選んだ代表者に政治を託されることになった。現在も三権の長を始め、主要政府高官は天皇の認証を受けて任に就く。日本の国体は「君民一体」である。先の大戦でのポツダム宣言もこの「国体の護持」だけを条件に受諾した。
我が国の国民は2700年近くを歴代天皇とともに概ね幸せに生きてきた。地震、津波、噴火、大火、台風、飢饉といった自然災害に常に見舞われる厳しい環境の中を、天皇の祈りの中で無事生きてきたのである。天皇は日本国の安全と発展を、そして日本人の一人ひとりの幸せを日夜祈られる。そして、天皇は代々の天皇同様、日本国に起こる苦難、災難はご自身の身の不徳として神に詫びられる。しかし、日本国民の多くは天皇を捨てた。』(「日本の正史」より)

長く続いているシステムというのはそれなりの合理性を有しているから長く続くのであって、新たなシステムを導入するリスクよりも、長期的にみれば平均して良い結果を出す可能性があります。今まで問題が少なく長く続いてきた価値観やシステムは大切にしながら、どうしても必要なら時代に応じて慎重にゆっくりと変革させていく政治運営が日本には求められていると考えます。